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入院した日 ~9月19日編~

懸賞 2017年 12月 23日 懸賞

深い眠りにつけそうな心地良い感覚に身を包まれ、短時間でもぐっすり眠れそうな気配を感じた夜中の12時を過ぎた頃。

ガチャ
「○○さん!(私の名前)ドクターから何か書類もらってますか?」
大声で看護士から質問されます。もちろん隣には、相部屋の女性が寝ています。
「いいえ、何ももらっていません」
「おかしいな~。じゃ、いいや、ドクターに聞くか」
バタン。

「・・・。」
最初からドクターに聞く、という選択肢はなかったのでしょうか。
心地よい眠気はすっかり飛んでしまいました。睡眠時間20分で、もう再度眠りにつける気配すらなくなりました。
悲しみより、怒りがふつふつと湧いてきて、ますます目はさえて、夫にメッセージをおくります。

「もうこんな病院いやだ。許可がなくても、明日病院を出ていきます。」
起きていた夫から返事が来ます。
夫「わかったよ、君が思った通りすれば良い。いずれにせよ明日、終日いるようにするから」
私「終日いる必要はない。だって、午前中にはもう荷造りして出ていくから」
良い意味でも悪い意味でも、社会の規則に従って生活することに、さほど苦を感じない私からすると、突拍子もない発想でした。
でも、その時は病院から早く去りたいという思いしかありませんでした。
この病院にいなくても、息子は絶対に問題なく育つ、育ててやる。いや、むしろそのほうが息子にとっても良いはず。
怒りも手伝って、根拠のない自信と思い込みは、とまりません。

今まで、一人でどれだけ大変だったかという思いを吐露します。
夫は夫で、いろいろ大変なことがあったんだよと訴えます。
もちろん、それを知っていたから今まで黙って我慢し来たんだと、自分勝手なことばかり主張するわたし。
結局、明け方までメッセージのやり取りは続き、ほぼケンカ状態になりましたが、夫は最後まで私につき合い続けてくれました。
夫よ、今言います。
本当にゴメン!

午前二時くらいに一度保育室に行くも、24時間明るい保育室で静かに眠る我が子。
結局眠れないまま病室で過ごし、明け方に保育室に行き授乳しました。
明るくなるにつれ、冷静さを取り戻し、ちゃんと考え直すことができるようになりました。
夫にはその後、許可なく退院するのではなく、通いで子どもを診察に連れて来るから、家で世話したいと医師を説得してみると伝えます。
でも、もし退院の許可がなければ、やっぱり病院にいたほうが、子どもにとっては良いのかと葛藤も生まれます。
あれこれ考えがまとまらなくなってしまい、荷物をまとめる勇気がわいてこず、退院したい思いはあっても行動にうつせずにいました。

そうこうしていると、夫が来る前に小児科医が病室へ診察に訪れました。私は授乳中だったのですが、一旦授乳を中止して診察を受けます。
診察は、新生児がよく乳を吸うか、母乳が出るかどうか、そして黄疸のチェックが行われます。
母乳チェックの際、乳首を押さえると、母乳がぼたぼた落ちます。下にガーゼで受けるとかしてもらえず、パジャマに垂れ流しになります。
印鑑を使うと、印鑑を拭くちっちゃい紙をもらえる日本の銀行を思い出し、あぁいう気遣いは当然ないよな~なんて、睡眠不足の頭で呑気なことを考えます。
医師の判断は、
「まだ、体重が増えないことと、黄疸が改善しないことが理由で、やっぱり退院の許可はだせません。」
無情な通告でした。また一晩かそれ以上ここで眠れず過ごし、保育室を行き来せねばならないかと思うと、絶望的な思いになりました。
「今の状況について、夫と二人で聞かせてもらえますか。間もなく夫が来るので、そうしたら二人でうかがいます」と伝えました。
すると、夫が到着次第保育室で話しましょうということで決まりました。

ガッカリしながら、その後授乳を続け、保育室に息子を連れていこうと病室を出たところ、さっきの医師が私を呼び止めます。
「まだ、小さいだけど、おっぱいをよく吸うので、午後の体重測定後、最終判断をしましょう。それで増えているようなら、一旦退院してもらって、診察が必要なら、通院して検査に来てください。」
まさかの結果保留ということになり、その後の授乳にも熱が入ります。
夫が来るまで授乳をひたすら続けます。
その時はとくに不思議に思わなかったのですが、当時の息子は一時間でも二時間でもおっぱいを吸い続けていました。
生後三か月経った今、母乳とミルクの混合で子育てしています。母乳の出が悪くなると、適当に切り上げて泣けば、ミルクがもらえることを知っている現在の息子。しかし、生後間もないころは、母乳を吸い続けることが、生きる唯一の道だったので、その生命力に感動すら覚えます。そして、やむを得ないこととはいえ、なかなか出ない母乳で、空腹にさせていたことが
、切ない気持ちにさせられます。

夫が到着し、諸事情をかいつまんで話したのち、保育室の医師と話をしました。だいたい同様の内容について説明を受けてから、久しぶりに一緒の時間を過ごします。

院内の少し散歩したり、病院のベッドで寝転んだり、息子と一緒に写真を撮ったり。 病院からの食事が出ている間は、彼は外に食事へ行き、その後体重測定になる時間が近づいてきました。

私が昼食をとって間もなく、またお腹が空いたのか息子が泣き始めました。やむを得ず授乳をしたところに看護士が現れて、

「何をしているんですか!もうすぐ体重測定なのに!体重は空腹時にするのに、どうして授乳をしているんですか!?」

と、かなりの語調でキレられます。私はすかさず夫に、人によっては授乳後に測ろうと言われて、何が正しいか分からないと伝えます。その旨を看護士に伝えるのすが、彼女は怒ったまま、どこかへ行ってしまいました。その後、穏やかそうな医師が現れ、体重を測ろうと言います。夫は、さっき空腹時に測るべきと、看護士に言われたことを話すと。
医師「あはぁ~()大丈夫ですよ~。じゃ、測りましょう」
私たち「・・・。」
結局何が正しいのか、分からないまま体重測定に。
結果は・・・。
わずか10g増でした。そして、ビリルビン検査もおこなわれます。
数値は横ばいでした。その他、授乳中の様子を医師が診察したりしたのち、医師と看護師が話しているのが見えました。結果として、

「体はまだ小さいけれど、お母さんのおっぱいによく吸い付いているので、これを続ければ母乳が出て、黄疸も改善されるでしょう。ただし、二日後に体重とビリルビン検査のために、診察に来てください。と言うわけで、今日退院してもらってかまいません。」

冷静に話を聞いていましたが、心の中でガッツポーズでした。結局、他の新生児とママは、退院のため私服に着替えた状態で、退院後の子育てについての説明を受けますが、私はパジャマのままでした。

それらの説明を受けた後、退院の準備をします。夫は、パパに車での出迎えを依頼し、私は父と母に、今日は見舞いに来ず、家で私たちを受け入れられる態勢で待機してほしいと伝えました。大した化粧品は持って来ていないので、適当にそれらしいメイクをしますが、連日の睡眠不足をカバーできるものではありませんでした。後にマンマが撮ってくれた、退院時の写真を見ると、私の眼の下には二重三重のクマがくっきり。笑ってはいるものの、瞼の上半分は閉じていて、うつろな目をしていました。

マンマはパパが車で来る前に、地下鉄で一足先に来てくれて、私が準備をしている間、子どものことを見てくれています。そして、パパから到着の連絡をもらい、私は我が子を抱っこして、ママと夫が荷物を持って退院しました。

車にはすでに設置されたチャイルドシートが。新生児用のクッションが中に設置されていますが、それがあっても、息子はあまりに小さく、車の振動に耐えられるか不安で、首に私の手をずっと添えた状態で、帰宅の途につきました。

そして、この入院、以前も記載しましたが、すべて無料。会計は一切通らずに退院でした。イタリア人の家族にとっては当たり前かもしれませんが、出産が保険適用されない日本で生活していた私と私の両親はただただ驚くばかりでした。


これで、やっと出産における入院生活の様子については終わりです。最短二泊三日と聞いていましたが、体重が増えない、黄疸が改善しないという事情から、最終的に四泊五日の滞在でした。
3
か月経った今、冷静に考えると、病院が新生児の健康を考慮して退院を延長させるのは、
「はい!無事産まれました、どうぞ退院してください!」
と、早々に追い出すより、よほど誠意ある対応だったと思います。
どのように病院内で入院生活を送るかについて、説明が不明瞭だったり、人によって言うことが異なるのは、困ります。しかし、それはイタリアでは一般的な事象であり、病院だからそんなことは起こらない、と期待していた私が狭量だったとも言えます。
とはいえ、産後すぐの私に、前述のイタリアンシステムを受け入れるタフネスは備えておらず、私が暴走したのは、今でも理解できる。
「母親になる」という気概が足りなかったかも、と自分を責めたり、それでもよく頑張ったとねぎらったりを繰り返しています。

【退院、その後】

3回息子を連れて診察へ通いました。
身体が痛い私に、平日にもかかわらず毎回夫が付き添い、パパが車を病院まで出してくれました。
3
回目の診察で、体重が順調に増え、黄疸の数値もかなり低くなり、主治医の一か月健診までこのまま育てるようにと、お墨付きをもらいました。
生後三か月を過ぎて、まぁいろいろありますが、とにかくすくすく育っています。
からだも大きくなり、よく笑うようにもなり、疲れた身体を癒してくれます。

今回の出産体験について、いつどんな検査をしたか、いくらかかったかをまとめてあり、またその他のイタリアにおける出産育児の事情なども、なるべく早く更新させたいと思います。



by ayumi_cocca | 2017-12-23 00:44 | 妊娠・出産 | Trackback | Comments(2)

Commented by リンゴ at 2017-12-27 21:45 x
なんと壮絶な…! 出産で体力も精神力も低下してる中、よく頑張ったね~!(ToT)
イタリアの人って、職場で情報を共有しないの?(^_^;) 内線は一体いつ直るの??(今も直ってないんじゃ…)
旦那さん、鈍いながら、逃げずに向き合ってくれて、よかったね!^^ わたしは退院するのが不安だったけど、こんな対応だったら、なんの未練も不安もなく退院できただろうな~(笑)
母乳も結構出たみたいで、正直羨ましい!^^

いま3、4ヶ月なら、寝返りうつくらいかな?
こっちはつたい歩きが始まっちゃって、長文を書く余裕があまりないの(^_^;) 離乳食日記の続きを書いておきたいんだけど、年末年始で書けるかどうか…。
お互いマイペースで情報交換しましょう!
Commented by ayumi_cocca at 2017-12-30 20:25
>リンゴさん
私としては、お産のつらさより、入院のつらさが壮絶だったな。
業務の引き継ぎ的な事は、今育休中の会社もしない傾向で、私が産休に入るときに、入社した人に懇切丁寧な引き継ぎをしてたら、「なんて親切なんだ!」って、周りのイタリア人がざわつくっていう笑
そんなイタリアでのお産だけど、無料で無痛分娩できただけ十分価値があったよ。
今、我が子は手足をよく動かして、首がすわってきたところです。まだ、寝返りはうたないな。
私は、右のおっぱいはよくでるんだけど、左がどう頑張ってもさっぱりで、そうなると、食欲旺盛な彼の胃袋は、片乳で間に合わず(涙)混合にしてるの。
そろそろスプーンの練習を始めようかってところで、来年6月には仕事復帰するから, 断乳をいつにするか既に葛藤中。
また、Mixi経由でメッセージさせてね。

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