入院した日 ~9月18日編~

懸賞 2017年 12月 06日 懸賞

入院4日目

日本の出産に関するエッセイ漫画をいくつか読んだことがありますが、イタリアの入院生活は日本と大きく異なるようです。
まず期間が、日本では普通分娩で一週間のようですが、イタリアでは最短2泊3日です。
日本での1週間の入院生活後、至れり尽くせりの病院から退院するのが不安になる人が多いと聞きます。
沐浴指導のみならず、こちらから積極的に質問をしなければ、なんの指示もないイタリアの病院で、言葉の壁も手伝い、睡眠不足とホルモンバランスの変化か、一人殻に閉じこもり、入院生活のあらゆることに居心地悪さを感じていた私にとって、退院は待ちに待ったことでした。
両親が、自宅で待っており、彼らとは当然日本語の通じるので、間違いなく病院より良い環境で子育てができるはず。

病室で相部屋になると、相手がどれだけ常識的な人でも、やはり気を遣います。
もう季節は秋口と言うのに、病室内では常にエアコンが稼働しており、ものすごい騒音かつ寒かったり暑かったりで、落ち着きません。
病室から保育室は遠く、会陰切開の傷口は痛み、移動がとても億劫です。
病室の内線が入院直後から通じず、修理されるでもなく、その上それを知らない(申し送りをされていない)スタッフから、都度文句を言われます。
黄疸が良くならないので、足に傷をつけて血液採取し、朝晩2回もビリルビン検査をされており、その都度ギャン泣きする息子がとても可哀想でした。
そして、決して美味しいとは言えない病院の食事、でも授乳をしているからか、信じられないくらいお腹が空きます。
以前も記述していますが、病院での費用は一切無料です。
そんなありがたい福祉の恩恵を受けながらも、私にとって病院での生活はかなり耐え難いものでした。

「今日こそ退院だ」
と、朝早くから授乳やおむつ交換の合間をぬって、荷造りをします。
午前中に、保育室へ行き、車輪付きのベビーベッドはどのように返却するか尋ねに行きました。

そこで衝撃の事実を知ることになります。
退院は、母子共に問題がなし、と医師から許可が出ないとできないというのです、つまり産婦人科医・小児科医両方からの許可がいるのです。前日に許可がでたのは産婦人科医からでした。そして、小児科医からの許可はまだでていません。
追い打ちをかけるように、
「黄疸が良くならないことと、体がまだ小さい(体重が増えない)という二つの理由から、今日退院許可を出すことはできません。」
と、言われました。

ガ〜〜〜〜〜ン!
あと一泊以上しならないと!

落ち込んでいる場合ではなく、急いで夫の実家に電話をします。
夫の父上が、車で迎えに来る段取りでした。次の日以降の退院である旨を急いで電話します。
私は軽いパニックでしたが、幸いマンマは冷静でいてくれました。
すぐに、パパに退院日変更を伝えてくれました。
そして、自分の親にも急いで連絡を入れます。この日は、夫のご両親が車で来てくれる段取りだったんので、父と母には病院に来なくていいと伝えていました。そして、私たちが家に帰るための準備を整えてくれています。事情を伝えると、午後いつもの時間に、再度お見舞いに来てくれることになりました。

最後に、夫にも電話をします。次の日以降になる車でのむかえには、チャイルドシートが必要で、それを私の両親がいるアパートメントに取りに行くよう再三伝えているのに、まだ取りに行っていません。
まだ退院じゃないなら、次の日以降に行くと言います。(夫は、今しなくていいことは、必ず先送りするタイプ)
しかし、私の両親は、夫はいつ来るのかと気を揉んでいるので早く行ってほしいと言いました。
「はぁ(ため息)、分かったよ(面倒そうに)じゃあ、今日の○時に行くと言っておいて」と私に言います。
ここで、突然私の我慢の堤防が決壊しました。号泣しながら
「さっきから、何度も自分で私の両親に電話してって言ってるでしょう!日本語使えるんだから、直接連絡とってよ!何でいつも私が橋渡しをしないといけないの!!」
99%八つ当たりですね。
自分で私の両親に直接連絡をしようとしない夫に、私は怒り狂ってしまいます。
「退院が伸びたのは残念だけど、そこには医者がたくさんいるから、家に帰るより確実で安心だから、良かったね。」
と、私の状況を知らず(私があえて説明していないので)安易な発言をし、再度私の逆鱗に触れます。
「ここに居たって、私は一人だし、あなたは居ない!どれだけ私がここで大変な思いをしてるか知らないから、そんなことが言えるんだ!」
と今まで積りに積もった思いがもう止まりません。
病室には、もう一人その日の朝から入院していた女性がいましたが、そこで大号泣です。

電話を切った後、何とか気持ちを落ち着かせ、午前中の診察を受けます。
今回初めて見る看護師から、また内線が通じないと言われ、飽き飽きしているいつものやり取りをします。そして、
「あなたはオムツ交換の際に、おしっことウンチをしたかどうかの申告を、保育室の看護師にほとんどしてませんね。次から交換する時は、必ず言ってくださいね。」
と言われます。
まだ説明を受けてないことがあったのかよと、ウンザリしながら
「私は入院してからすでに四日経つんだけど、申告しなければならない事実を知りません。誰からも説明してもらってませんけど。」
と答えます。
看護師さんはおおらかに、
「あら〜、そうだったの、じゃあ次保育室に来たら、申告してね〜。」と去っていきました。
保育室で必ずおむつを替えるのは、こういうことが理由だと、やっと知りました。
思えば、オムツ交換をしていると、保育室の看護師から、
「ウンチした?おしっこだけ?」と、ときどき尋ねられていました。その理由が、その時やっと分かりました。
それ以降、申告するようにしたら、看護師はその内容をちゃんとパソコンに記録していました。

午後には、ママが私を慰めるためのケーキを持って見舞いに来てくれて、私の両親も後に続きました。
みんな、落ち込む私を慰めてくれます。
そして夫が続きます。
その時は、気持ちも落ち着き冷静に話ができる状態に戻っていました。病院での生活について、 何がしんどいのか、ちゃんと伝わるように話します。
病院側は、何の説明もせず、でも患者側が全てを知っていないと怒られる。
その病院の決まり的なものも、人によって言うことが異なるため、患者側にとっては、朝礼暮改でしかない。
そのあたりを説明すると、我慢強く聞いてくれました。
いつもより長く滞在し、帰っていきました。そして次の日は、なるべく長い時間いてくれることを約束して。

次の日に退院できるという保証がない、 不安な夜が始まりました。
保育室にオムツ交換へ行くと、看護士の一人から、交換後すぐに体重を計ると言われました。いつもなら、授乳後にしましょうと言われるのに。
体重は若干減少
看護士「おっぱいには吸い付く?」
私「はい」
看護士「じゃあ、どうして体重が減るの?」
なんだその口のききかたは!? 私を責める口調に、イライラした物言いで言い返します、
「普段は、授乳後測定しようと言われて、そうしてます。直近の授乳は3時間前だから、前回の測定と条件は違いますよね。減ってるなら、理由はそれでじゃないですか?」
と答えると、何も言わず、別の作業にうつる看護士。
無視か~い!
結局、やり取りは続くわけでなく、その場を去り授乳室へ行きました。

授乳後、私が入院中に、内線がつながることはないだろうと思い、紙に私の携帯番号と、「内線が通じません。何かあれば携帯に連絡をください」とメモを書き、看護師に仮眠をとる旨を伝え、息子の眠るベビーベッドに置いて、その場を立ち去りました。
もっと早くこうしていれば良かった。
仮眠をとっていると、息子がおむつを替えても泣き止まないということで、看護師が私の病室にベビーカーを持って来ます。
隣には帝王切開で休んでいる患者さんがいるので、病室で授乳は申し訳なく、結局、保育室にUターンする息子。
携帯には電話しもらえないんだ。。。 知らせてくれれば、私が保育室に出向くのに、と思いながら授乳をします。

再度、授乳を終え23:30に、保育室に預けて休むことに。
「今日も長かった、明日退院できなかったらどうしよう。」
いろんな不安がないまぜになりながらも、へとへとで眠気を感じ、だんだんと眠りに落ちていく・・・。
たとえ短時間だとしても、深い眠りにつけそうな心地良い感覚に身を包まれた、日付も9月19日に変わろうとする頃。
また・・・

入院した日 ~9月19日編~
に続きます。

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# by ayumi_cocca | 2017-12-06 19:56 | 妊娠・出産 | Trackback | Comments(0)

入院した日 ~9月17日編~

懸賞 2017年 11月 13日 懸賞

入院3日目

前日21時過ぎから二時間ほど睡眠をとり、病院の人に叩き起こされたのち、次の授乳のため目覚めたら、
「なんじゃこりゃ〜!」

両胸がパンッパンに張っているではありませんか。ものの数時間前は、何ともなかったのに、痛みと熱もあり、驚きの変化です。
おそるべしホルモン
不要な情報ですが、貧乳のわたしでは、所詮「微乳」レベルです。しかしながら、一晩でホルスタインと化したことで、少しは息子の体重減少が抑えられるのではと期待します。

そして保育室へ
当時のメモに
「0:30〜3:00 授乳チャレンジ そして成功」 と書いてあります。「成功」とは、何を指して成功と感じたかが、2ヶ月経ったいま、思い出せません。きっと、授乳後疲れたのか、お腹がいっぱいになったかで、子どもが寝たのでしょうか。
明け方になると、掃除で保育室に預けられなくなるので、清掃が入っていない午前3時に、息子を預けて部屋で今一度休むことに。
めざまを8時にセットして4時に就寝。4時間は寝られる・・・。
二時間経過
早朝6:10、助産師に叩き起こされます。
「調子はどうですか!?」
「なんでこの時間なんですか?診察は8時以降ですよね?てか寝てますけど」
とは言えず
「あ、はい。胸が張ってきました。」
と言うと、
「良かったですね!これからおっぱいがよく出るようになりますよ。」

結局、外泊という環境も手伝って、その後やはり眠れなくなり、再度保育室へ。息子はすやすや寝ており、することもなく、部屋に戻り眠れないものの、少し休みました。

午前中は、産婦人科や助産師の診察があり、基本面会はできません。
朝食を終え、1、2時間おきに授乳やらオムツ交換やら。その後産婦人科医による診察がありました。退院可能かどうかの判断をします。同じ階の待合室のようなところで、他の患者同様待つよう指示されたのですが、その時息子のギャン泣きが始まりました。
他の患者さんは、旦那さんを連れている人も多かったので、待合室で授乳するわけにはいきません。
「おっぱいが必要なので、一旦病室戻っていいですか?」と、助手らしき人に尋ねると
「ここで待てないんですか!?
ハァ(ため息)、なるべくすぐ戻ってきてください。」
普段は気にしない冷たい対応に、いちいち心が削られます。
授乳を終えて、待合室に戻ると、一人の患者さんを残すのみでした。最後に私が呼ばれ、診察。幸い産婦人科医は親切な医師で、助手のような冷たい対応をされることは、ありませんでした。産後の経過は良好ということで、次の日には退院していい許可がおりました。
ヤッター!

午後は一番のりでマンマが来てくれて、お昼ごはんを食べてる時に、子どもが泣くとあやしてくれます。
時間をずらし、昼食後両親が来ます。言葉が通じないイタリアで、前日から病院に見舞いに来るまでに、どんなことがあったか話をします。
また、二人がいる間にシャワーをして、髪をかわかします。
その後、夕方に夫が現れ、次の日の退院の段取りを話し合い、また夕方から一人で授乳に格闘します。さみしい気持ちはありましたが、もうそれも一晩の辛抱だと思えば辛くありません。
荷物も少し準備しておきます。

そうして、また日付けが変わろうとするのですが、その時は、まだ自分が大きな間違いを犯していることに気づいていません。
もちろん、誰もその間違いを指摘できる人はいません。

入院した日 ~9月18日編~ に続きます。


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# by ayumi_cocca | 2017-11-13 23:26 | 妊娠・出産 | Trackback | Comments(0)

入院した日 ~9月16日編~

懸賞 2017年 11月 01日 懸賞

日付けが変わり、授乳やオムツ交換を3時間毎続けます。
明け方に保育室にある授乳室で授乳後、病室に私だけ戻り、赤ん坊は預かってもらおうとしたところ、保育室の掃除に入った人に、「清掃が入るので預かれません。」と預かりを断られ、止むを得ず移動式ベビーベッドを押しながら、病室に戻ります。

同室の人に申し訳なく思いながら、何度おっぱいを与えても泣き続ける我が子を慣れない手であやします。
その日の朝、体重を測定してもらいました。
2960gで産まれたものの、8%の体重減少。減少そのものは、自然なことだけど12%まで下がると問題なので、また測りましょうと、保育室の看護師(らしき人) に言われます。これ以上減らないようにと、プレッシャーを感じながら、ほぼ一時間おきに母乳を与えますが、その後も口を鳴らして、物足りなさげに泣くばかり。
一度、保育室の看護師に
「いくらおっぱいを吸わせても、泣いてばかりいるので、母乳が足りないと思うのですが・・・。」
と言ったら
「それでいいんです。そのまま吸わせ続けてください。」
と、具体的な解決策のない回答で終わり、その後相談をし続ける気力は失せてしまいました。

この測定で、体重減少が大きいと、ミルクを足すこともあるのかもしれなかったのですが、私は多分ギリギリのところで、母乳のみ与える判断がされているようでした。これがまた、私を追い込むことになります。

この日、夫は見舞いに来ませんでした。
実は、今年に入り、私の妊娠出産のほかに、
・アパートメント(マイホーム)のローン(銀行の手続きがめっちゃ煩雑)
・リフォーム(施工する建築家が知り合いで、なぜか切れキャラ)
という人生最大の関所だらけの夫は、複数業務を並行稼働させています。もちろん、仕事もしています。(私が出産した日から、1週間は休んでいましたが。)
それに加え、今は息子の出生手続き等もしているなか、理屈では「彼もいろいろ大変だし」と分かっていても、授乳もオムツ替えも、あらゆる検査も全て一人はとても心細かったのです。「授乳」「オムツ」「ビリルビン検査」「小児科医」その他もろもろ、当時の私には、(平素であっても)初めてのイタリア語ばかりで、言葉の壁も、入院生活を戸惑わせ、病院のスタッフとのコミュニケーションを億劫なものにさせていました。
マンマも両親も毎日来てくれるけど、唯一一緒に保育室に入れる夫の不在は、一人で子どもを守らねばという、変なプレッシャーも強くしていました。他の夫婦は、一緒にオムツ交換していて、その実 孤軍奮闘しているママもいただろうけど、夫婦同伴の人にばかり目がいってしまいます。
産婦人科医師の診察が午後にあって、最短二泊三日で退院できると聞いていたものの、出産が未明だったこともあり、次の日(9/17 日曜日)に 9/18 月曜日の退院が可能かどうか最終判断します。と言われました。
あわよくば、勝手の分からない病院を次の日には退院できるかもと期待していた私の出鼻をくじかれるかたちになりました。

夫があまり居てくれない不安や、病院の予測不能な対応に戸惑うのは、産後からほとんど寝ていない疲れもさることながら、やはりホルモンバランスの変化も大きいと思います。最近になって、産後うつという言葉が注目されるようになりましたが、やはり理屈で何とか言い聞かせられることを、納得できない状況に陥るのは、ホルモンによるものだったのだと、今はわかります。

もちろん悲しいことばかりではありません。
マンマは大きなカメラやビデオカメラで息子を撮影しまくります。
私の両親は、息子の手足の大きさに驚いていました。私にとっては第一子で、比較対象もないから、こんなもんだと思っていたのですが、我が家の小柄家系にはあり得ないサイズの手足だそうです。

夫も私も、目の色が茶色いのですが、何と息子の目の色は青くて、産まれた瞬間、夫が驚いていました。どうやらマンマの目の色が隔世遺伝したようです。でも、夫側の家族は「ゆくゆくは、茶色く変わるでしょう。」と言うのです。
日本で生まれ育った私にとっては、人間の目の色が変わっていくことがあるということを知りませんでした。しかし、イタリアの親戚一同もやはり、「ゆくゆくは変わるでしょう」と。最初は何かの冗談だと思っていたのですが、あまりに全員同じことを言うので、そういうこともあるのだと知りました。

生まれた当日、ほとんど目を閉じていて、両親は赤ちゃんの目の色を見ていません。入院二日目のこの日初めて子どもの目を見た両親は、
「うわ〜、ホンマに青いな〜」と驚いていました。
このように見舞いに来てくれる人との、新生児観察会は、とても面白かったし、何より喜んでくれている姿が嬉しかったです。

その日の夜も、保育室に21:00に預けました。看護師にオムツ交換と授乳は済ませてあり、3時間後にくる旨を伝えます。

二日目夜になっても、病室の内線は繋がらないままで、申し送りがされていない状態が続くので、保育室での口頭連絡は欠かさずしています。
ちなみに、いろんな人(看護師、助産師、小児科医、産科医)に、毎回内線電話の故障について、文句を言われるので、「もう何度も言ってるのに、いつになったらなおるのですか。」というイタリア語が、サラサラ言えるように。やっぱり語学は、反復が大事ね。なんて思いながら、それを聞いた人たちは、誰一人修理の手配をする気配がなく、都度イライラも反復しました。

その後シャワーを浴びて歯を磨き、0:00に目覚ましをセットして21:30に就寝。
やっと2時間超の睡眠時間を確保し、一番深い眠りだったであろう23:30、なぜか助産師がやって来て、叩き起こされ、
「調子はどうですか?痛み止めは必要ですか!?」と尋ねられます。
「え、寝てますけど、起こす必要あるの?」とは言えず、「痛み止め・・・、ください・・・。ありがとう」と言うのが精一杯でした。

結局、その後眠りにつくことができず、ウトウトしたまま目覚ましをセットした0時になったのですが、
「なんじゃこりゃ〜!」
その時私の体に大きな変化が訪れます。

入院した日 ~9月17日編~ に続きます。

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# by ayumi_cocca | 2017-11-01 00:04 | 妊娠・出産 | Trackback | Comments(2)

入院した日 ~9月15日編~

懸賞 2017年 10月 31日 懸賞

出産が無事に終わり、病室で休み始めたのが、午前4時

出産についてはこちら
それと同時に、長くて短い入院生活が始まりました。
この生活は、私にとって長らく経験しているイタリア人のいい加減さに加え、朝令暮改なシステムに振り回されることに終始しました。
一般的に、私の周りの人(特に仕事周り)は、私のことを「常に冷静」と良くも悪くも評価してくれているのですが、そんなキャラが完全に崩壊するちょっとした騒ぎになってしまいます。

午前7時、看護師が6時間前に産まれたてほやほやの息子をベビーベッド(移動式)に入れて連れてきました。
「初乳を与えてください。それが終わった後、高齢出産だったので、彼に(息子に)血糖値検査をします。」
それに続けて、
「保育室から病室に何度も内線をかけたのだけど、全然つながらなかったんだけど、どうして電話に出てくれないの。だから、お子さんをここまで連れてきました。」と言われたのですが、わけが分からず。。。
すると、同室のイタリア人女性が、
「この内線は、故障なのかつながりません。」と、私を責める看護師に対し、フォローをいれてくれます。
すると、納得したようで、授乳のしかたについて説明をしてくれました。
授乳中、新生児は寝てしまうので、ほっぺたをつつくか足の裏をくすぐるかして起こすように言われました。
就寝から3時間で初乳の試練がおとずれました。
言われたとおりにやってみます。幸い、息子はちゃんと吸い付いてくれて、左右ともに吸わせることはできたのですが、どのくらい飲んだのかもさっぱり分からず、そのうち疲れて寝てしまいます。とりあえず、できるだけのことをして呆然としていると、朝食が運ばれ一旦休憩。
どこでいつ血糖値を測るか説明をされてなかったので、病室へ診察に来た産科医に訪ねました。彼女も詳しい事は知らないとのことで「保育室に行って聞いてください」と言われました。

よぼよぼになりながら、保育室へ向かいます。私の病室は、保育室から対角線に一番遠い場所に位置しています。すでに、麻酔は切れており、会陰切開で縫合された箇所、硬膜外麻酔や点滴の針を刺した場所、分娩による全身の筋肉痛に見舞われています。能を舞うようなすり足で保育室まで向かいます。
正直、病室に戻って3時間で一日が始まったので、お産の興奮もあいまって、あまり熟睡できていません。というか、こんなにすぐに、初乳が必要だとも知らず、言われるがままに指示されたことをする状態でした。保育室に着いたものの、血糖値を測ると言った人の姿が見えず、というかどんな人だったか覚えていない。

正直、保育室に入ってからの記憶は疲れであいまいですが、そこではいろんな色の服のスタッフが忙しそうに働いていました。
レストランでも、どこかのお店でものを買うにせよ、みんなが忙しそうに働いていると、どうしても声をかけるのをためらってしまいます。
どうにか、一人に声をかけて、その後検査をしてもらったような気がします。結果がどうだったかは覚えていません。

その日のことでよく覚えているのは、前日に救急窓口で対応してくれた産科医が、入院前の妊婦さんに、病院内の施設案内ツアーの説明をしており、私に声をかけてくれたことです。
「無事産まれたのね〜」なんて声をかけられました。ツアーを案内していることを伝えられ、彼らに息子を見せてもいいかと尋ねられます。
「日本人とのハーフの誕生を、みんなに祝ってもらいましょう!」
保育室は、授乳室以外はガラス張りで外から見学できるようになっていて、そこから眺めている妊婦さんとその夫の一行に拍手をもらいます。
病室に戻る途中、再度その一行とすれ違い、みんなから「おめでとう」と言われ、すっぴんの目の下に濃いクマがありつつ、それでも笑顔でありがとうとこたえます。実際ありがたいことなんだけど、なんかすり減った感覚を覚えながら、病室に戻りました。

午前中、病室に戻ったあと、赤ちゃんが母乳をあげてもフェンフェン泣き止まないので、ボンヤリした頭で「は!オムツか!」と思い、再度保育室へ戻り、どっさりウンチを目の前に呆然としてしまい、またスタッフ一人に声をかけ、替え方を指導してもらいました。基本的に、オムツは保育室でしか交換できないので、その都度遠い保育室にヨレヨレになりながら向かうことになります。

面会時間は12:00〜20:00なのですが、12:00を過ぎてすぐに、マンマが来てくれました。
この出産で一番近くで私の妊娠を喜び, 初孫の誕生を楽しみにしてくれていた人なので、本当にホッとしました。そして昼食が終わる頃、両親が無事到着です。階と部屋番号だけ知らせていたのですが、無事にたどり着いてくれました。
この時、母は麦茶とおにぎりを持ってきてくれて、身にしみてありがたかった。
夕方には、前日未明まで一緒に頑張ってくれた夫がやって来ました。
身内が全員帰った後、また長い夜が始まります。日中は病室に息子と一緒にいたけど、夜は泣いて同室の人の迷惑になるといけないと思い、保育室に預けました。でも3時間おきに授乳をせねばならず、目覚ましをセットして、仮眠をとることに。

こうして、9月15日の長い入院生活は終わろうとしており、同時に長い9月16日、分娩を含め入院生活3日目が始まろうしています。

入院した日 ~9月16日編~ に続きます。


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# by ayumi_cocca | 2017-10-31 23:57 | 妊娠・出産 | Trackback | Comments(0)

出産した日 ~9月15日・後編~

懸賞 2017年 10月 19日 懸賞

もうすでに一か月以上前の話ですが、記憶が薄れないうちに早く更新したい、出産のことと、その後の病院生活について。
今日やっと、後編が更新できました。
前編については、こちらです。⇒
出産した日 ~9月14日・前編~

深夜12時を過ぎて、左太ももの付け根に痛みを覚え始めてから間もなく、その痛みがどんどん強くなっていくのが分かりました。
いぃぃ、いたい・・・、くっくるしぃぃ・・・
息も絶え絶えになりつつ、医師からこの痛みに合わせて、いきむように指示がありました。麻酔を上回るほどの陣痛に襲われているということを、その時理解しました。
それと同時に、震えるほどの寒さを感じました。
さぁ、これから本当の分娩が始まると感じたのは、ストレッチャーの両サイドにある、両足を乗せる器具に足を乗せるよう指示を受けた瞬間でした。夫に退出してもらうよう、言いました。私たちの、出産前の約束として、分娩時は夫には立ち合いをしないということで、折り合いがついています。一番自分が取り乱しているところを見られたくないという私の気持ちと、一番生々しい光景を見たくない・場合によっては、気を失うかもしれない夫の気持ちが一致したため、事前に決めていたのです。
周りの医師・助産師さんたちは、「なぜ!?」と言う雰囲気になりましたが、もうその頃には、私に説明する余裕はありません。

夫不在で、本気の分娩が始まりました。
痛い!寒い!
寒さに耐えながら、「この寒さはどうにかなりませんか?」と尋ねると、医師は
「この部屋は寒くありません。陣痛によるものなので、お産が終わればなくなります。」
と、無情な宣告。
え~、今何とかして欲しいのに・・・。
痛さに耐えながら、「この痛みは(麻酔で)とれないのでしょうか?」と尋ねると、医師は
「取れません。いきむタイミングが分からなくなるので。」
と、またしても無情な宣告。
いゃ、でも理由は確かに、それはごもっとも・・・。
しかも、今思えばこの時の痛みは、きっと自然分娩の1/100、いや1/1000程度だったと思います。しつこいようですが、鼻からスイカレベルの痛みよりはずっと軽かったです。自然分娩で出産されている方々に、石を投げられてもおかしくないし、無痛分娩でこんなこと言っては罰が当たりますが、その時の私には耐え難い痛みでした。

しばらく頑張るものの、いきみかたが足りないようで、医師から
「私たちは、お産を手伝うことはできますが、産むのはあなたです。
あなたがいきまないと、赤ちゃんはいつまでたっても下に降りてこられませんよ。」と、厳しいお言葉。
それも、ごもっともぉ~。でも、妊婦として、重いものも持たされず、段差はエレベーターで生活していた現代人・妊婦の筋力は明らかな衰えを見せています。
全然力が入らない。

呼吸法やいきむポイントを指示されながら、絶え絶えになりながら、痛みと格闘します。
もうわけが分からず、何分何十分立ったでしょうか、淡々とすべき工程を経ている医師の実況を聞きながら、ホェ~という声が遠くに聞こえたと思ったら、お腹に生温かいものが乗りました。
へその緒が付いた状態でお腹の上に、赤ちゃんが置かれました。今思えば、カンガルーケアというものでした。
自分でも、びっくりしたのですが、産まれた瞬間は号泣するかと思いきや、泣きませんでした。やっと会えたと言う気持ちと、無事に産まれてくれたという安堵が大きかったです。そして、無事に産まれたことで、夫を呼び戻しました。
へその緒を切ってから二時間、再度赤ん坊をお腹の上に乗せます。(その間、後処置をしてもらいました)
医師が、そのケアは母親と新生児にとって、愛着を感じる意味で大切な工程であるなどの説明をしてくれました。
その間夫は、出産まで何も口にできなかった私に、自販機で買った水や甘さの強い紅茶を持ってきてくれ、500ccのペットボトルを2本一気飲み。陣痛以外はまだ麻酔が効いてるので、スッカリ痛みから解放されて、医師助産師も交えて談笑していました。

各種処置を終えたあと、私は助産師さんの押す車いすに乗せられて、夫が赤ちゃんを車輪がついたベビーベッドに乗せて病室に移動します。
病室に着くと、時間は未明3時半を過ぎていました。
夫が赤ちゃんを保育室に預けに行って間もなく、病室に出生届に必要な書類を、助産師が持って来てくれました。
病室は二人部屋、同室の女性は当然就寝中。起こして申し訳ない。。。
前日の朝から病院におり、その間歯をみがいていなかったので、病室についているトイレと洗面所で、歯磨きと洗顔だけさせてもらうこと、こんな夜中に申し訳ないということを伝えて、寝る準備をする了解を得ました。昼食も夕食もとっていないので、持ってきたビスケットを食べて、夫にもらった書類を渡し、歯磨き洗顔を済ませ、4時過ぎにやっと就寝をしました。

思え返せば思い返すほど、無痛分娩も手伝って、超がつくほどの安産でした。
私の周りの高齢出産の人は、何かしらトラブルが発生した話を聞いていたので、もう本当にラッキーとしか言いようがありません。
世界のすべてに感謝したい気持ちです。

出産編はこれで終了ですが、長い9月15日の入院生活は始まったばかりです。
入院生活は、思った以上に壮絶というか、想定外のことがとても多かったので、
入院編についても、できる限り時間を見つけて、早めに更新予定です!(希望的観測)


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# by ayumi_cocca | 2017-10-19 12:57 | 妊娠・出産 | Trackback | Comments(2)